1月 |
新年ご祈祷会 秋葉三尺坊大権現殿元朝参り(0:00~6:00) |
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2月 | 涅槃会法要(仙北保育園園児寺参り) |
3月 |
彼岸会 ひな祭りお茶会(仙北保育園児参加) |
4月 | お釈迦様誕生:花祭り大会(盛岡市仏教会協賛) |
5月 | 花祭り(保育園児寺参り) |
6月 | 仏教講座(岩手県民会館大ホール:講師先生による講演会) |
7月 | 秋葉三尺坊大権現例大祭(15・16日) |
8月 |
お盆(合同新盆供養会) 盛岡舟っこ流し |
9月 | 秋彼岸 |
10月 | 七五三法要(園児寺参り) |
11月 | |
12月 | お釈迦様お悟りの日:成道会(保育園寺参り) |
享保年間(1716~1736)、南部藩三十代行信公の息女幕子(麻久姫)は、十四歳で毛利駿河守高久に嫁ぐが、二年で離縁する。その後、豊後の国小出玄藩に再び嫁ぐが死別し、盛岡に戻り髪をおろして光源院と号した。南部の姫ともよばれる光源院は、大慈寺(黄檗宗)の異国情緒豊かな寺院の雰囲気と、当時の歴代住職の徳風を慕い、あつく仏教に帰依していた。この光源院の命によって、大慈寺四世万叡和尚の代に、北上川の舟橋の下流で「川施餓鬼」を行ったのが、舟っこ流しの始まりと言われる。(年月日は不詳)
もう一説には、文化(1804~)頃、津志田の遊郭の、大時おおとき、小時こときという売れっ子の遊女が盛岡城下に遊びに来ていたある日の帰り、門限に遅れまいと北上川の舟橋を渡ろうとした時、折からの台風で水の勢いにおされ、力尽き溺れて亡くなってしまった。人々はそれを哀れみ、「舟っこ流し」が盛んになったという。
明治以降は、戦没者の慰霊、先祖供養、世界の平和、五穀豊穣など、様々な祈りを込め、舟っこ流し協賛会が結成され現在に至る。
毎年、盛岡の夏の風物詩として、寺院や各町内の舟が、暮色せまる明治橋上流から流され、フィナーレには花火が打ち上げられる。南部の殿様、姫君、遊女、商人、吉田松陰、菅江真澄、文人墨客の面々…城下街もりおか長松寺の門前を、泡沫(うたかた)のように通り過ぎて行った古(いにしえ)の人々におもいを馳せ、幽玄の世界の中、短い北国の夏に別れを告げる。
〈盛岡八景・舟橋の夕照〉
旅人は急ぎ渡れど舟橋に
暫しはよどむ夕日影かな
赤ふんどしの担ぎ手による仙北2丁目自治会の舟っこが参道を川原に向かって行く